2019年12月17日

檸檬のようなミカン

今日は終い観音の日…毎月18日は観音さんのお勤めを和讃講の皆様と勤めますが今月は今日(17日)

今年最後の観音さまの日(終い観音)でございます。



おば様たちとの雑談を終えてお墓の古い供花などを掃除していると永代供養墓の前に一個のミカンが供えられておりました。

そのミカンを見ていると梶井基次郎の「檸檬」のようだと思った。


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梶井基次郎の「檸檬」では丸善書店の本の上に一個の「檸檬」が置かれる…主人公の憧れ・不安の象徴のような描写だったはず。
このミカンがそんな不安の象徴ではないのは分かっているが何故だか「檸檬」を思い出したのです。


ミカンを供えられたお方はミカンがお好きな方だったのかな? 

どんな方だったのだろう?

そんな想いを馳せるのも供養のひとつのカタチかも。。



供えられた一個のミカンを眺めながら私の憧れや尊敬そして不安はどんなカタチで表せるだろう?…などと考える私。

すこし文学的じゃない?(笑)


posted by 脱力坊 at 16:15| 和歌山 ☁| Comment(0) | 雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

響く

おはようございます。暖かく湿っぽい朝を迎えています‥いかがお過ごしですか?

さて、今朝みたいに湿度が高めになると本堂の木魚の響きが鈍くなる。

やっぱり冬のカラリとした寒い朝の方が音がよく響くのです。

でも響こうが響きが鈍かろうがいつも叩かれる木魚は大変ですよねぇ。
自身を棒で叩かれながら「目を覚ませ・悟りを目指せ」と音を響かせているのです。

寒ければ寒い朝ほどよく響く…辛い時・悲しい時にこそ得るモノがあると教えているようです。
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posted by 脱力坊 at 06:47| 和歌山 ☀| Comment(0) | 法話みたいなこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする