2020年09月25日

さようなら

「さようなら」…私たちが日常的に幾度となく言ってきた言葉だと思います。

その語源を辿ると「左様であるなら」から来ていると言われています。

私たちが使う「さようなら」はいわば接続詞。

前の文章と後ろの文章を繋ぐ言葉(接続詞)が別れの挨拶となるのは世界的に見ても珍しいのではないでしょうか。
例えば学校の先生が「さようなら」と言った場合。

「今日も沢山学びましたね、左様であるならば 明日もまた元気で学びましょう」の意味を込めて「さようなら」となるのでしょう。


では私たち僧侶がお別れに使う「さようなら」の意味は「この世で大切なご縁を頂きましたね、左様であるならば またお浄土でお会い致しましょう」となるのでしょう。


不思議の生命を頂いた私たちはまた不思議な巡り合わせの世界へと還ってゆくのです。


英語の「good by」グッドバイは「Got by」神と共に・・洋の東西を問わず「命」とは神や仏と共にあるのですね。

posted by 脱力坊 at 18:37| 和歌山 ☁| Comment(0) | 法話みたいなこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年09月11日

笑顔を向ける

おはようございます。 朝晩は随分と涼しくなって秋の気配を感じます。
サクラの葉も枯れてきて毎朝の掃除が大変ですけどね😅

さて、お盆の頃にお寺の墓地にて・・
ある家のお墓の脇からケイトウの花が大きく育ってきた。きっと種が落ちてそれが芽をだしたのだろうと思います。
随分と大きくなって通行の邪魔になりそうなので切ろうとしていた時に「おっさん、それ切るの?」と声をかけられました。

うん邪魔になりそうだからね…と答えたら「ウチのおばぁちゃんはどんな花でも好きだったから、花が咲くまでそのままにしてもらえないだろうか?」と言われた。

じゃあ…脇芽だけ切って、邪魔にならない程度で残そうか…となったのです。

今朝、墓地の掃除をしているとそのケイトウの花が見事に咲いておりました。

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お墓や仏様に供える花が仏様の方を向いてなく、私たちの方を向いていることを「向下相(こうげそう)」といいます。
供えられたお花を見た私たちが思わずキレイだね…と笑顔になる。
そんな笑顔を仏様は喜んで下さるのでしょうね。

向下相は仏前を飾るようで私たちの笑顔を供えるモノかもしれません。


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2020年08月30日

苦しみの始まり?

おはようございます。坊主です。

8月最後の日曜日…皆さんはどのように過ごされますか?

さて、求不得苦(ぐふとっく)という言葉があります。

求不得苦は、すごくわかりやすいところで言えば、食べに行こうと思っていたお店が閉店した、恋しい人と恋仲になれなかったとか、お金がなくて買いたい物が買えないとか、そうした欲が満たされない状態を言います。

根本をたどると欲も怒りも同じものであり、不足を満たすという方向性なら欲、対象を排除したいという方向性なら怒りという感じになります。

「怒りの解消という欲」、「欲の解消としての怒り」という感じで考えれば視点の違いくらいしか無いという感じを理解しやすくなるでしょう。

そんな「欲」が良いとか悪いとかの話ではなくて「この心にとって苦しみとなる」というところがキーポイントです。


欲求が悪いとか良いの話ではありません。

アナタのその苦しみの基はなんですか?と仏教は問うているのです。



今朝の私の苦しみは休みが無くなった…という単純なことだけですわ(ーー;)

posted by 脱力坊 at 07:27| 和歌山 ☁| Comment(0) | 法話みたいなこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年08月25日

お地蔵様と私

おはようございます。いかがお過ごしですか?

昨日は8月24日で関西地方のお寺様では「地蔵盆」を行うトコロが多かったのでしょう。
後輩君からも「やっと地蔵盆が終わりました~、お盆の慰労会をしませんか?」と連絡があったので僧侶にとってお盆の月(8月)がどれほど多忙で重圧になっているのかがよく分かる(笑)

ちなみにこの寺では4月にお地蔵様の会式を行うので地蔵盆は行っていない。だから楽なのさ😁

さて、さて、せっかくなのでお地蔵様について少し書いてみましょう。

お地蔵様のことを「代受苦者(だいじゅくしゃ)」と仏教では説きます。
悟りを得ながらも「如来」の位に就くこともせずいつも私たちと同じ世界にいて私たちを導いて下さる。
私たちの代わりとなり地獄にまで落ちて下さるのが代受苦者・地蔵菩薩なのです。

地蔵盆は地蔵菩薩という方を拝むのではない…私の代わりに苦労をして下さる方々を拝むのです。

毎日当たり前のように食事の用意をして下さる、掃除をして下さる、私の代わりに苦労をして下さる身近な方や大勢の方々の存在に気付きなさいよ…というのが地蔵盆の本当の意味なんだと思うのです。

私の周りを見渡せばそんな「お地蔵様」のような方がどれだけいるのでしょう?

カミサンに「おい、感謝しろよ」と言ってしまうような私は地蔵様ではありませんけどね😓

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posted by 脱力坊 at 07:25| 和歌山 ☁| Comment(0) | 法話みたいなこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年08月22日

送る人

おはようございます。 境内の木々、花々に水やりするのもホトホト疲れた。。
今日は午後から雨の予報だけど・・どれだけ降るのやら。。
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さて、水やりの途中に声をかけられた「おっさん…お盆はご苦労さんやったな」
今年、ご主人の初盆を迎えたおばさんでした。
「ウチのお父ちゃん、無事に極楽へ還ったやろか」と未だに寂しそう。

おばちゃん・・〇〇さん(ご主人)が還ったかどうかではなくて、おばちゃんがキチンと送れたか…だよ。
仏事をひとつ、またひとつと迎え、終わらせていく中で「出会い」と「別れ」が納得できるようになる。

そして「また会おうね」に繋がっていくのです。

見上げればまだ夏の空だけど季節は私たちの心と共に変わってゆく。。
posted by 脱力坊 at 06:37| 和歌山 ☀| Comment(0) | 法話みたいなこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年08月08日

繋がり

「こんな大変な時に遠くまで来て頂いてすみません。今年はお盆のお墓参りも自粛させて頂くので、ウチのご先祖様のことお願いしますね」と大阪府下にお住まいの檀家様に言われたのです。

コロナのせいで様々な繋がりを敬遠するようになってしまいましたね。

人と人の距離をとり、なるべく人と関わらないのが「新しい生活様式」これも仕方の無いことかもしれません。

こんな時期だからこそ「繋がり」の大切さを考えてほしい。
連綿と続くご先祖様との繋がり、そして私を支えてくれる人たちとの繋がり。

会えなくても繋がっている…それを実感することが「お盆」の本当の意味なんだと思います。

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posted by 脱力坊 at 20:18| 和歌山 ☁| Comment(0) | 法話みたいなこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年08月05日

逝き方

おはようございます。今日も暑くなりそうですね。

境内もセミやお墓参りの方々の声で賑やかです。

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さて、昨夜は寺務所で仕事にかかりきり…そのまま寝入っていました。

おかげで眠い😴


誰かの人生を振り返ると私の進むべき道も見えてくるような気がするが、色々な人生があるから「これだ!」といえるモノもない。


最後の最後に感謝しながら逝くのか、不安の中で逝くのか?

きっと信仰のある・ないはそこも違いになっていくのでしょう…。
posted by 脱力坊 at 06:36| 和歌山 🌁| Comment(0) | 法話みたいなこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年07月29日

祈り

おはようございます。 朝からセミたちが騒がしい境内です。

さて、私は僧侶なので「祈る」という行為は日常でございます。

祈る姿は他人に見せることは出来ても祈りの内容までは見せることは出来ませんよね。
誰かのために祈る…「幸せになってね」「元気で過ごせますように」「おめでとう」などなど・・他人からは見えない、取るに足らない行いですが人生を幸せに生きるには大切な行為だと思っているのです。

まぁ祈ることしか出来ない私ですけど😅
posted by 脱力坊 at 06:17| 和歌山 ☁| Comment(0) | 法話みたいなこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年07月28日

人の中で

おはようございます。 耳鳴りが激しくてスッキリしない朝を迎えています。。

本堂の縁にセミの亡骸が転がっていました。
まだ梅雨も明けていないのに・・どれだけの時間を過ごし、この世界を見てきたのでしょう?


さて、私たち人間も命の長さは人それぞれ、別れの時は突然やってくるものです。
そんな別れの辛さに慣れる人はいないでしょう…。

別れは辛く苦しいもの。それでも私たちは自分の命がつきるまで人の中で過ごし、人を愛し慈しむことを止めることはできません。それが人間なのですねぇ~。

posted by 脱力坊 at 06:30| 和歌山 ☁| Comment(0) | 法話みたいなこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年07月16日

願われている

おはようございます。いかがお過ごしですか?

たまにはお坊さんらしく「仏様」のことを簡単に書きましょうかねぇ。


私たちは仏様やご先祖様を拝む…私たちが拝む…と思ってますよね。

でも仏様の側からも拝まれているという事実に気が付かない。


浄土宗系のお寺の信者様や檀家様はお寺のご本尊をよく見て下さい。

正面の真ん中は阿弥陀如来、その御手は私たちの苦しみを取り除く印を結んでいます。

向かって右は観音菩薩、手に蓮台(蓮の花の台座)を持って私たちを迎え取ってくれる様子を表しています。

向かって左は勢至菩薩、両手を合掌し私たちをいずれ仏になる身として拝んでくれているのです。


仏様はこの世の真理を表すモノであり、ご先祖様の集合体とも言えます。


つまり普段は私たちから拝んでいると思っている仏様やご先祖様ですが実は私たちが拝まれていたのです。

「幸せになってね」と。。


もう亡き人の声を聴くことは出来ません、姿を見ることも出来ません、しかし私たちはその亡き人から幸せになることを願われている…その願いを感じることは出来ると思っています。

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posted by 脱力坊 at 06:13| 和歌山 ☁| Comment(0) | 法話みたいなこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年06月14日

尊厳

ご近所さんにおばぁさんが居ます…何処だっておばぁさんは居ますけど。

とても心配性で真面目なおばぁさんです。
今日も夕方にお寺へ来て、もう何年も前に終わった事をアレコレと心配して「私ね、あのことチャンとしたかしら?」とウチのカミサンに尋ねたようでした。

カミサンは内心「またなの」と思ったのでしょう。
小さな子供をたしなめるように話をしている最中に私が帰宅したのです。

ここまで書けば誰でも分かると思いますが・・いわゆる「認知症」の方なんですよね。
すぐに私が対応し、おばぁさんが納得するまで話を聞いて後、家まで送り届けました。

そして家に戻ってからカミサンに「尊厳」について話を致しました。

認知症の方は時間や場所の感覚が分からなくなったり、最近のことを覚えられなくなったりするだけで幼児に戻った訳ではありません。
邪険に扱われたり、子供扱いされたら普通の大人と同じように不快に感じるのです。

手助けは必要なんだけど、自分で出来ることはやってもらう、そしてきちんと大人として対応するのが「尊厳を守る」ということなんです。

生きている人だけではなく、亡くなった方にも「尊厳」は存在します。
亡くなった方にも生前と同じように大事に接することも「尊厳」

僧侶や僧侶の家族がその「尊厳」をきちんと理解していないといけませんね。
これからこのようなケースは増えていくばかり…いずれ私も行く道なのです。

posted by 脱力坊 at 20:12| 和歌山 ☔| Comment(0) | 法話みたいなこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年06月06日

適量

おはようございます。 いかがお過ごしですか?
天気の良い日が続けばアジサイなどの植物は雨を欲しがります。
なので水やりが欠かせない。
逆に水をそんなに必要としない植物もある。。
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幸せのカタチも人それぞれ。。
同じ量の幸せが皆に必要なのか?

私は私の必要な分を過大に要求しているのかもしれないなぁ。。

posted by 脱力坊 at 07:17| 和歌山 ☁| Comment(0) | 法話みたいなこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする