2019年11月04日

区切り

おはようございます。連休も最終日ですね…仕事の人も休日の人も有意義な時間をお過ごしください。

さて、人生は区切りが大切です。

何かにつけて気持ちを切り替える瞬間が必要なんです。

過去を忘れてリセットするという意味ではなく自分が歩んできた道は経験として心に刻んでいればイイ。

節目があるとしなやかに強く生きていけるのですよ。竹のように。
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2019年11月03日

いのちを渡す

午前中の仕事を終えて午後からは「総代役員研修会」に参加してきました。
ウチの寺の総代さんたちもご参加下さりありがとうございました。

さて、講師先生の話を聞きながら「死」について考えていた。
私たちはいずれ死を迎えますこれは誰も避けることのできないこと、でも人の最後の瞬間は様ざま。

私は誰かに看取ってもらえた人は最後の最後に「幸せ」を感じるんじゃないかと思います。

いのちの受け渡し…そんな実感を私自身が欲しいからそう思うのかもしれません。


posted by 脱力坊 at 20:23| 和歌山 ☁| Comment(0) | 法話みたいなこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年10月24日

変る

おはようございます。 雨が近づいているようで空気もしっとりとしている今朝の当地方です。

さて、デンマークの思想家・哲学者であるキェルケゴールの言葉に「祈りは神をかえず、祈る者を変える」とあります。

祈りの質が変わってくるという意味なのかもしれません。

自分の欲望を満たす願いは「祈り」ではない、他者の苦しみ・悲しみに共感できた時に想いが祈りへと変わっていくのだ。


少し腹立たしい気持ちだった私も少しづつ変わってきたような気がしています。
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2019年10月23日

無限

おはようございます。
この時期は何が釣れるのだろう? 早朝から釣り人が独り、竿を出しています。

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さて、波は絶え間なく打ち寄せては引いていく。

そんな波音を聞いている時間だけは無限の世界と私が繋がっていることを実感します。

有限の命と無限の世界…その世界を「私と仏」って言い換えても良いのでしょう。


posted by 脱力坊 at 06:35| 和歌山 ☀| Comment(0) | 法話みたいなこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年10月21日

浄化

朝のお勤め…二日ぶりに我が寺の阿弥陀様の前でお勤めを致しました。

私のムニャムニャと称える念仏を聞かされれる阿弥陀様も「今日も相変わらず気合が入っとらんの~」と呆れているでしょう(;´Д`)

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さて、私たちはなぜ神社やお寺でおがむのでしょう?


「今日も無事に過ごせますように」「良いことがありますように」なんて願いを込めて拝む人もいらっしゃるでしょうね。

でも拝んだからと言って毎日良い事が起こる訳ではありませんし、苦悩の連続です。


私は拝むその瞬間だけは「心の浄化」が行われているのだと思っています。


眠たい時、疲れている時でも手を合わせ心を一度リセット。


毎日の生活で積み重なる心の塵を払う瞬間なのかもしれませんね。


さぁ今日も一日頑張りましょう。
posted by 脱力坊 at 07:12| 和歌山 ☁| Comment(0) | 法話みたいなこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年09月24日

この彼岸に想う

ようやくお彼岸の説教の旅を終えたのです。

のべ15時間ほど話続けたことになりますかねぇ。。

今は焼酎のお湯割りを片手に放心状態…まさに廃人と化しているのです( ゚ρ゚ )ホゲー

かなりの疲れ・ほんの少しの充実感を感じている今夜です。

他人様に「悔いのない人生を・・」と説いておきながら私自身はそんな人生を歩んでいるだろうか?
そんな想いを胸にこのお彼岸を過ごしてきました。


どんなに努力しても、どんなに楽しんでも私が死の淵に立った時、少なからず後悔はあると思います。
そして「悔いのない人生を」というその想いは次世代に繋ぎ、繋がれた人も同じようにまた次の世代に・・。

そんな「願い」の集合体を「仏」というのかもしれません。

色々と考えさせられたお彼岸を過ごせた事に感謝です。


posted by 脱力坊 at 21:39| 和歌山 ☁| Comment(0) | 法話みたいなこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年09月23日

人生のルール

彼岸も中日が過ぎてラストスパート…。
今夜の法話も無事に終わりようやく落ち着いた時間を過ごしています。

さて、今日の法話の後、控室に戻り帰り支度をしている時にお話を聞いてくださったご婦人が「少しだけ話を聞いてください」と訪ねてきました。

今は亡きご主人のことが忘れらず悲しみが癒えない…そんなお話でした。

そこは共感するしか出来ないのです。

私が言えることは「人生って別れが増えていくのがルール」ということだけ。
そしてアナタだけではないですよ…色々な人と話をしてみてください。きっと誰もが同じ思いをしているはずです。

独りじゃない…そう思えた時に悲しみは癒えるのじゃなく大切な人と出会えた感謝へ変っていくでしょう。


posted by 脱力坊 at 22:49| 和歌山 ☁| Comment(0) | 法話みたいなこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年09月17日

つもり違い

風色は少しだけ秋っぽいけど気温は高め…扇風機もまだまだ活躍している田舎の寺です。

さて、さて、ずっと以前に「つもり違い十か条」なるものをblogに書いた気がするがもう一度おさらい。
高いつもりで 低いのが 教養
低いつもりで 高いのが 気位
深いつもりで 浅いのが 知恵
浅いつもりで 深いのが 欲望
厚いつもりで 薄いのが 人情
薄いつもりで 厚いのが 面皮
強いつもりで 弱いのが 根性
弱いつもりで 強いのが 自我
多いつもりで 少ないのが 分別
少ないつもりで 多いのが 無駄

どこかのお寺の掲示板に書かれたものが一気に広まったらしいのですが自己の内面をよく表していると思います。

でも他人に対しての「つもり違い」ってモノもあるんだよね。

そんなつもりじゃないのに迷惑をかけた、そんなつもりじゃないのに傷つけた、そんなつもりじゃないのに・・だらけ。

私もそんなつもりじゃないのに迷惑をかけた部類だわ。

自分で気が付いたことは自己の責任でその「迷惑」を払いのける努力が必要だし、そうやってきた。(未だ謝罪は出来ていないが)
あくまで自分で気が付いたことだから出来るのだけど、気が付かないことも多々あるだろう。

「つもり違い」って結構世の中に蔓延してそうです( ̄▽ ̄;)
posted by 脱力坊 at 15:09| 和歌山 ☀| Comment(0) | 法話みたいなこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年09月15日

一日遅れの名月に

おはようございます。いかがお過ごしですか?

さて、昨夜は寺務所で寝た私…電気を消して横になってみるとカーテンのすき間から明かりが漏れていました。
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一日遅れの名月が輝いていた。
しばらく眺めていると…くだらない足の引っ張り合いをしている私たちがいかに愚かな存在かと思えてくる。

悟りの境地には程遠いが少し冷静になりながら眠りに落ちた私なのです。

posted by 脱力坊 at 05:45| 和歌山 ☀| Comment(0) | 法話みたいなこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年09月11日

後悔

おはようございます。 朝だというのに蒸し暑いです(-_-;)

さて、法句経に「後悔する羽目になる行為はしない方がいい、その報いを受けて涙を流すことになるだろう」とあります。

たしかにそうなんですが…どんな人生にも後悔は付きものですよね。

私は「後悔するのは選択肢が多かったから」とその選択肢があったことを喜ぶべきだと思うのです。
多くの選択肢の中から自分が選んだ道。

誇りをもって後悔すればいいんじゃないでしょうか?涙は人生に不可欠です。
posted by 脱力坊 at 04:52| 和歌山 ☀| Comment(0) | 法話みたいなこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年09月01日

人間らしさ

秋らしい風が吹いている今夜…祭のならしが始まり笛の音が響いています。

さて、さて、人間も動物と同様にマウント合戦に明け暮れているようです。
他人より優位にたちたい、他人より幸せでいたい。

そう思うことは悪いことではない…それが生きるということでもあるのだから。

「優位にたった」と思っていたことが他人の優しさに包まれていただけと気が付いた時に素直になれれば良い。
その優しさを発揮できるのも、そして気が付いた時に感謝出来るのも人間だけだと思う。
posted by 脱力坊 at 21:02| 和歌山 ☀| Comment(0) | 法話みたいなこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年08月14日

ピークを乗り越えた私

よくやった…自分を褒めたい今日だけは。。

お寺業界の方なら分かってくれるはず…一日で施餓鬼法要を三つは無謀だわ。。
もう二度としたくないぞ(>_<)

まぁそれはイイとして…質問されたことがあります「仏様に供えるお膳って必要?」

お霊供膳ですね。。まぁ浄土真宗以外はお供えするのが基本だったはず。
確かにお供えしたところで仏様やご先祖様が食べてるかって言うと食べてないですけどね(^▽^;)

香りを供えるなんて説明をしたりしますが…要は気持ちの問題です。

故人を想う時「何かしてあげたい」「出来ることはないか」と想う気持ちの表れだと思うのです。
懐かしい家庭の味を供えるのは「忘れないでね」「忘れてないよ」の気持ちでしょう。

基本的には精進料理なのですが故人の好きなメニューを供えるのもアリだと私は思っています。

そしてお膳のお下がりを頂くのも「同じものを食べる」という行為で「いつまでも家族だよ」の表れですから必ずお下がりを頂きましょうね。

お盆の間…私が精進潔斎をするのは施餓鬼法要で大量のお霊供膳が残るのでお下がりを食べなきゃならない…という理由もあります(笑)
posted by 脱力坊 at 21:15| 和歌山 ☁| Comment(0) | 法話みたいなこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする